スライムを愛せ!

スライムを愛せ(笑)

クレイジーでサイコなメンバーの経験値集め。

どうでもいいや。

今日お店のお客さんが

性善説性悪説について語っていました。

僕の唾がラーメンに入ってはいけないので、

その議論に参戦できなかった分

このブログに僕の見解を述べます。

 

生まれた時は皆、善い人である。

生まれた時は皆、悪い人である。

まぁこんな感じの定義で議論をしがちですが、

両方とも本来の意味は少し違います。

 

僕は疑問に思います。

善人とか悪人って誰が決めれるのだろう?

ちなみに性善説やら性悪説というのは、

孟子朱子荀子などの名だたる思想家達が

紀元前から述べている事なのであります。

その当時の悪人と今の悪人って同じ事を

してる人を指すんでしょうか?

 

皆さんは悪人ってどんな人だと思います?

法律違反を犯す人?

ヤンチャっぽい人?

人の心を傷つける人?

人の心を持ってない人?

自分にとって害な人?

答えは人それぞれだと思います。

特定の人を思い浮かべる人もいるでしょう。

 

ちなみに孟子の言う悪とは、

(人間は様々な意味で)弱い存在という事です。

ふーん、なるほどナァ。

まぁ要するに全てのパラメータが低い状態で

人間は生まれてくるという事ですね。

 

その後の後天的努力で根本的なモノは

変えられなくても公共善を知り、

人としての礼儀を為せる様になる。

つまり、教育の重要さを語っています。

それについては性善説でも、

人は生まれ落ちて教育を受けずに

放っておけば、悪を行う様になると

述べています。そう結局同じなんです。

ただ、答えを出すまでの式が違うだけ。

 

公共善=社会を成立させる根本概念です。

これは所謂外ヅラ、大義名分ですね。

他へ向ける善を学んで共有しようよー!

って事ですね。

 

例えば、公共善の例を挙げるとすれば、

ブサイクな子にも優しくできる価値観

つまらない友達とも仲良くできる価値観

まぁ色々あるわけです。

世間一般的に善しとされる考え方ですよね。

 

学校の教育だけでなく、社会に生きる上で

学ばされてきた考え方でもあります。

普通に生きたいなら持ってなければ

いけない考え方。そんな感じなのかな?

 

そのおかげで今日も地球は回っている。

皆、仲良く同じ釜の飯を食って

明日の幸せを祈り、眠りにつくのです。

 

「おやすみ、公太郎。

明日はもっといい日になるよね

 

「利己ちゃんもちろんなのだ!

、、、ヘケッ!」

 

 

 

 

でもさ、

公共善があるならば私的善もあるよね。

性格もブスだよと指摘できる価値観

つまらないのはつまらないと言える価値観

どれもそいつにとっての善なのでアルよ。

 

公共善と私的善、、、それってもう

共有しているかしていないかだけが

判断基準な気がする。

私的善も他の人に伝えられる様になれば

その人の人となりが一発で分かると思うし、

実は価値のある価値観が見えて面白いと思う。

まぁそうなったらもはや私的善とは

呼ばないかも知れないけどね。

 

結局、

公共善 善いと思われる価値観

私的善 善いと思える価値観

私的悪 悪いと思える価値観

公共悪 悪いと思われる価値観

の四つが存在していて、私的善と私的悪を

養えるツールがあまり存在していないと

僕は思っている。

そして、世間一般には公共善と公共悪が、

私的善と私的悪がそれぞれ同一視されており

公共観が善いものとして。

私的観が悪いものとして

見られがちな傾向にある様に感じる。

 

みんな違ってみんな良いと言いつつ、

みんなと違った部分は共有出来ない。

ちょっとそこは矛盾してるよね。

もちろん、度を超えた私的観は本当に

ツールがあろうが共有出来ないと思うけど。

 

公的結論。

性善説性悪説もアプローチが

違うだけでゴールは一緒。

公共善を学びましょうって言ってる。

 

私的結論。

どうでもいいや。

はじめの一歩

 

陽と陰。

静と動。

愛と憎しみ。

正と負。

生と死。

太陽と月。

男と女。

酒と泪。

 

何にでも対局のモノがありますね。

そしてほとんどのモノは、バランスが

取れていなければいけないんです。

そして、ある事象が発生すると同時に

もう片方の真逆の事象も発生します。

 

何か始めたい!

そう強く思っても中々動けないですよね。

何故なら、その思いと同時に

何も始めたくない!

そういう負の気持ちが自分の知らない所で

芽生えてしまっているのです。

めんどくさい、怖い、不安、動きたくない

お金がかかる、時間がかかる、、、、

何にせよ、正の思いにセーブをかけてきます。

 

皆さん、気づかぬ間に

やらない理由を探してませんか?

「体調悪いからランニングやめとこう。」

「掃除してもすぐ汚れるし。」

「あと5分寝させて

「だって◯◯もやってないじゃん!」

「プレゼントあげてもどうせ別れるし。」

何かを始める事から何故か我々人間は

逃げたがる傾向にあるんですよね。

 

だがしかし!

めんどくさいと思ったその瞬間が

やる気スイッチのある場所なんです。

めんどくさいと思った時は

やりたい、やるべき事が

発生した瞬間でもあるんですよね。

ここで行動に移す癖を付けられたら

怖いものはないんですが、

中々そうはいかないのが人間様です。

 

なので、少しでも行動に移せるように。

やる気スイッチを押せる様にする為の

改善策を考えてみました。

 

 

①0か100で考えない

簡単にいえば目標を細分化して考えるって事です。

完璧主義をまずは一回捨てましょう。

海賊王になるって夢にも要素や段階があります。

仲間を増やす。自分自身強くなる。ログを貯める。

リオ・ポーネグリフを探し出す。ラフテルへ行く。

七武海を倒す。四皇を倒す。海軍を倒す。ワ●ピースを見つける。

これ全部一気にやろうと考えたら果てしなく遠い。

恐らくフーシャ村から出られないままになります。

一話の最後を見れば分かるのですが、

ルフィも最初は「まずは仲間集めからだ!」と

考えなしに見えて計画的に行動に移しています。

 

まずは1からやってみよう。

心にかかる負荷も小さいので、行動に移しやすいはずです。

筋トレをする。

という事ならばまずは靴を履いて家に出てみる事から

始めるのもアリです。ここまでしたならジムまで向かうか

って思考に向きますしね。何故なら靴を履いて外へ出た

労力が何かしないと勿体ない事になってしまうからです。

千里の道も一歩から。まずは誰でも出来る事から

始めないと、何も成し遂げられないよね。

 

②得意・好きなことから始める

やりたくない、やらなきゃいけないという

マイナス意識や苦手意識から、モチベーションは

蝕まれていきます。ならばやりたい!という気持ちに

持っていけば良いだけだと思いませんか?

 

僕はサービスを考えられても、

そのサービスを作る技術がないので

プログラミングという壁が僕の一歩目を妨げます。

ならば、

僕は僕の得意な分野の方から歩き始めりゃええやん。

そんな話でございます。

 

野菜が食べれない子でもカレーでなら食べれたり、

天ぷらでなら食べれたり、ピザでなら食べれたり…

自分が好きと思っているモノの要素の一部でなら

意外と食べれちゃうもんなんですよね。マジで。

自分もチーズ苦手ですが、ピザでなら食べられます。

それから少しずつ他のチーズ料理も

食べられる様になってきています。

なので、好きなモノ得意なモノから広げていくのは

一歩目を踏み出すセオリーだと思います。

 

③効率的を禁止ワードに

考え過ぎてしまう人は1歩目踏み出すまでに

如何に効率良くスムーズに進められるか、

失敗しないように、時間がかからないように…

色々考えているわけであります。

その時点で効率悪いんです。実は。

効率化は歩き始めていないとできません。

頭の中だけで考える事ではないです。

 

ラーメン屋をオープンしたばかりの時

片付け作業に3時間くらいかかっていました。

今は30分くらいで終わります。

もちろんイメージトレーニングは必要ですが、

やっていくうちに最短な道を

感覚で分かる様になると僕は思います。

食洗機を回してるうちに机を拭きに行く。

使う調理器具やダスターを最小限にする。

モノの置く場所がどこだと便利か考える。

色々、やってみたから分かることです。

 

思考→行動→思考→行動→思考………という

繰り返しに物事は動いていると思いますが、

この始まりを行動からにしてしまっても

サイクルは始まっていくだろうという事です。

 

以上の3つがはじめの一歩を踏み出す為の

意識改革でございます。

 

 

「じっくり考えろ。しかし行動する時が来たなら考えをやめて、進め。」

「勝利は我が迅速果敢な行動にあり。」

「お前がいつの日か出会う禍は、お前が疎かにしたある時間の報いだ。」

これらはナポレオンの言葉たちですが、

辞書から不可能を失くせたのは

この思考があったからこそだと思います。

 

やる時はやる。

早さに勝るものはない。

時間を無駄にしてはいけない。

どれも行動する大切さを教えてくれています。

 

何かを始めるのは怖い事でもありますが、

未知の世界へ飛び込める楽しいことでもあるのです。

何より失う事をそんなに怖がるほど

僕たちの今の人生は価値があるのでしょうか。

…ネガティブなのか、ポジティブなのか

自分でもわからない思考ですが、最初に書いた通り

全ての事は表裏一体なのです。

最強のポジティブは最強のネガティブなのです。

 

 

とりあえず、やらないか?

 

言霊

 

ちょっと時間がないので

まず自分の座右の銘といえる

3つの言葉を書いておきます。

 

後に何故、座右の銘にしているのか、

魅力を感じるのか編集します。

 

①燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

 

②人間が人間として生きていくのに

     一番大切なのは、

    頭の良し悪しではなく心の良し悪しだ。

 

③おもしろき こともなき世を おもしろく
    すみなすものは 心なりけり

叱る

 

叱っている親を見る度に思うんです。

その親はどういう考えのもと怒っているのか。

 

子供が常識を持って真っ直ぐ

育ってほしいからなのか?

それとも

自分の世間体が気になったり、単純に煩くて

怒っているのか?

 

叱るって言葉は教育的な意味を持っています。

良くない点を指摘し、どうするべきかを

伝えるのが叱るという事なんですが、

世の中の親達はちゃんと叱れているのかな?

 

「ちゃんとしなさい」

「早くやりなさい」

「勉強しなさい」

 

『子どもの自己肯定感を高める 

10の魔法のことば』(石田勝紀/集英社)

において紹介されている、

 

子供を潰す呪いの言葉だそうです。

 

先日、

自己肯定感を養える世の中にしたいと

僕は言いましたが、大人になってから

自己肯定感を育てるのは中々難しい。

ネガティブな人が急にポジティブになるには

相当な覚悟と努力が必要です。

でも子供の頃から自己肯定感を養える環境に

居れたらそんな心配はしなくて良いよね。

 

だから、難しいとは分かっているけど

教育の文化を僕は一新したい!

ターゲットは小学生~中学生。(まずはね)

ビジネス相手は教育機関全般。

そこがまず重要なところであります。

ただ今回は【叱る】がテーマなので、

先の呪いの言葉に戻ります。

 

「早くやりなさい」、「勉強しなさい」は

早くやらなければいけない理由だったり、

勉強をする理由だったりを具体的に

言えるならば全然アリだと思います。

また話題が逸れるので詳しくは

述べられませんが、楽しく主体性を持たせる

叱り方はするべきだと思います。

 

 

「ちゃんとしなさい」って何?

“ちゃんと”の曖昧さはK点越えしていますね。

何がダメでどうすれば良いのか全然わからん。

親のアウトプット力が足りないからなのかな。

ダメっていうのは分かっているけど、

何故ダメなのかを説明出来ないんですね。

 

頭ごなしに「ちゃんとしなさい」では

子供の自己肯定感は育つ訳がない。

「“ちゃんと"していないんだ僕は」

ってなるよね。認めてくれない親ならその後

尚更言うことも聞かなくなるでしょう。

 

まぁ、とは言っても

その場では何を言ってもぶっちゃけ

子供は分からないと思います。

僕も叱られた事をあまり覚えてないし、

実際、子供って馬鹿だしね。笑

 

じゃあどうすればいいのって話なんですが、

僕はまず、共感し認めてあげる事が大事だと

思っています。

 

飲食店で煩い子多いですよね。

でもご飯がサーブされたら静かになる。

当たり前だけどご飯に集中するからね。

ご飯が来る前は集中するものがない。

つまり、

煩い子の親は子供と会話してないんです。

だから、走り回ったり色々触ってみたり、

とりあえず大声を出したりしてみる。

 

子が子なら親も親的な言葉は嫌いですが、

子供はまだコミュニティが狭いから

親が認めてあげないと誰も認めてくれないのと

同意義になってしまうんですよね。

だから親の叱り方は大事なんです。

認められず育った子は他の子を認められない

負の連鎖を生む。ある程度のコミュニティに

所属する頃になっても、もう遅いんですね。

 

叱るというのは相手を認める事でもあるんです。

相手が居ないと叱れませんから。

怒るのは一人でも怒れます。

 

皆さん、叱れる親になりましょう。

子供と"ちゃんと"向き合いましょう。

子供はあなたの事を見ています。

 

子は親の背中を見て育つと言いますが、

《恥ずかしくない生き様を子供に見せましょう。》

美輪明宏の言葉です。

続・思いの丈を

 

三宅が思いの丈を述べたので、

今日は俺も思いの丈を述べたい。

 

俺は良い世の中にしたい。

政治とか経済の分野ではなく、

文化やサービスで良い世の中にしたい。

 

もっと人と人が褒めあえる世の中に。

お互いをもっと認め合える世の中に。

子供達がもっと自由で素直な世の中に。

皆がもっと幸せな世の中に。

 

やっぱり人間が1番幸せを感じるのは

誰かを必要とし、誰かに必要とされる、

誰かを愛し、誰かに愛される、

誰かを認め、誰かに認めてもらえる、

自分は自分で良いんだと思えた時だと思う。

 

自己肯定感を養える世の中にしよう。

極論であり、無謀だとは分かっているけど、

皆が皆幸せであったら、

誰かを不幸にしてしまう事をする必要がない。

自分を不幸にしてしまう事をする必要がない。

 

何故、不良になってしまうのか。

何故、イジメが起こるのか。

何故、人を騙してしまうのか。

何故、人を殺してしまうのか。

根本的な原因は同じだと思う。

 

自分に自信がないから人を見ようとしない。

人を見ないから自分の存在を認められない。

そんな暗い日曜日。今日感じてしまった。

 

俺は悲しんでる人を見たくないです。

自分も悲しくなるから。

俺は楽しんでる人を見たいです。

自分も楽しくなるから。

 

人の思いは

伝染るんです。

プラスな思いを伝染させるサービスを。

作るんです。